普及の基盤整備
■島唄イベントの創設
1.奄美民謡大賞 島唄コンクール
2.島唄大会 島唄発表大会(お祭りデス)
3.実況録音島唄大会 単発イベントでした・・・・・・完了
4.奄美民謡新人大会 1.の前身 ・・・・・・ 完了
5.民謡民舞大会 民謡と踊りの全国大会
■島唄の保護・育成
セントラル楽器 / 小川学夫氏 / 南海日日新聞社 がキーワードです。
小川学夫氏が中心になって、島唄レコード制作の楽器店と地元の新聞社を抱き込んで文化事業として上記のイベントをスタートしていったのです。
インフラ=基盤整備は、出来たのではないでしょうか?
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■セントラル楽器がかかわった島唄の基盤整備
◆昭和46年 三味線教室開始 島唄需要を促進
福島幸義氏 昭和46年5月~49年1月亡
吉永武英氏 昭和46年5月~3年くらい
畑山正夫氏 昭和49年1月~不明
築地俊造氏 昭和53年7月~1年くらい
福島の生徒・築地俊造氏は、昭和50年 第1回奄美民謡新人大会・新人賞、昭和54年 第2回日本民謡大賞受賞者。
奄美の島唄を全国区にした功績は大きい。
◆昭和47年 坪山豊を発掘(当時42歳)
中村喬次(紹介)→小川学夫と故・池島典夫氏(要請)実況録音奄美民謡大会に出場。
この後、唄者としての道を歩き出す。
島唄の重鎮として、指導者としてその功績は大きい。
◆昭和50年 奄美民謡新人賞 →小川学夫を中心にスタート。当社は協賛。
◆昭和55年より日本テレビと提携し、奄美民謡大賞と改称する。
当社は、後援。
RIKKI、元ちとせなどのスターも、この大会を登竜門とした。
◆昭和55年 島口発表大会を共催、現在、南海日日新聞社が継承している。
島唄に島口は不可欠なのだ。