絶滅の危機、あの島唄

■自然淘汰と自然保護のはざまで

動物愛護、保護の精神が高まっている。
理由は人間のせいで絶滅しかけているアニマルたちに、人類が罪悪感を持っているからだ。

しかし、環境に適応出来ない生物が種の絶滅を迎えようとしているのも現実なのだ。
島唄文化でもそうだ。
忘れ去られてゆく唄をどのように処置するのか?

1.レコード(記録)としてとどめておく。
2.そのまま放置して、自然消滅となる。
流行り歌という言葉があるように、ある時代には、脚光を浴びる可能性があるならば・・・・。

たとえば、島育ち。
昭和14年の曲が、田端義夫によって、昭和37年に大ヒットした様に、残しておけばいつか、ブレイクするかもしれない。そんな島唄がある。
金かぶ節/正月着物/送り節/すばやど節/くばぬ葉/国直よね姉/飯米とり節などなど・・・。

渡しゃは、以前はあまり歌われていなかった島唄。
それが、今はにぎやかな唄ということもあって普及している。
各集落に眠る唄にスポットを当てること。
これが、当社の使命なのだ。

■珍しい唄は、発見するもの?創るもの?

宇検村須古の集落では、サンシンのかわりにチヂン(太鼓)で島唄を歌うことが多いと知りました。
実際、朝花や黒だんどなど一般的な唄にまで使われていて新鮮な驚きがありました。
最近では、島唄を複数の唄者に合唱していただいたり、新しい試みも徐々に始まっています。
21世紀バージョンとして、あれこれトライしてみましょうかネ。

■「坂元豊蔵」「文 英吉」「南政五郎」ご存知の方は島唄通

宇検村出身の唄者、坂元豊蔵(彼の歌った島唄が、NHKのラジオで放送された第1号だったんです)、島唄評論家の文(かざり)英吉、笠利島唄のスーパースター南政五郎の三題話。

文英吉氏の面白い話しを聴いた。
「政五郎が、三味線伴奏のラストのスタイルを、タンタタタンタン・タタン!にしたら、それが奄美で流行ってしまったのダ」と嘆いていたそうだ。

坂元豊蔵氏は、早くから上京した唄者だったため、その影響も無く、彼の歌ったテープのエンディングは、ごく自然なものだった。

唄は世につれ、変化も起こる。従来派が珍しくなってしまった・・・!。

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