5月にピアノとエレクトーンの指導を中心としたヤマハ音楽教室が、名瀬市の末広町でスタートしました。この時の生徒の対象年齢は4歳から9歳までで、お稽古事というのは7歳からという当時の相場からいくと、大変画期的な早期教育でした。また、1クラス10名という大人数で、いわゆるグループレッスンの形態をとっています。これも新しい取り組みでした。
私も最初は、
「まだ字も書けないような幼な子が音楽を習得出来るのだろうか?」
と思いましたが、伊藤英造先生(旧制松本高校・現在の信州大学を卒業後、地元で音楽の教師を務め、後にヤマハ音楽教育担当として海外での音楽指導などに従事した方)のお話を伺って納得しました。
それは、今から120年程前にインドのカルカッタの西南110kmにある小さな村で発見された狼少女たちの話でした。小さい頃、狼に育てられた姉妹は、すでに狼のしぐさ、習性を身につけていました。そんな彼女たちに人間としての教育を行った結果は次のようなものでした。
1歳半だった妹のアマラは保護されてから1年ほどで亡くなりましたが、短期間で片言の言葉を話せるようになりました。しかし、すでに8歳に達していた姉のカマラは、17歳で亡くなるまでに、たった45の言葉を覚えただけでついに最後まで人間らしさは戻らなかったというものでした。
幼い頃には旺盛だった知的吸収力は、年齢が上がってゆくに従い、衰えてゆくのです。音感、リズム感などを身につけるには、感覚の発達する4、5歳の幼児期が最適だということなのです。
今でこそ、音楽教育は幼児期からという考えは一般的になっていますが、ピアノなどの習い事は中学生、高校生くらいになってからの方が最適と考える人もいた時代でした。
生徒募集については、当時のヤマハの音楽教室担当者から、
「奄美で初めての事でもありますし、50名も集めたらオンの字ですヨ。」
と言われましたが、
「たった50名程度の人数で奄美の音楽普及が出来るものか、何が何でも倍以上の人数を集めて担当者を見返してやる!」
と、いきまいたって、気持ちだけでは募集は出来ません。
それで、多くの生徒を集めるための具体的な方法を考えました。それは教育に熱心な母親を説得する話術を作り上げる事でした。私は生徒募集用の話法として、子供を持つ母親向けと学校長など教育関係者の啓蒙のためのものと二通り作り、博多にある日本楽器(現・ヤマハ)九州支店で担当者にチェックを頼みました。両方とも完璧だとのお墨付きもらいましたので、自信を持って積極的に幼稚園・小学校の入学式前の説明会へ出向き、ひんぱんに説明を行いました。学校や先生方の評判は上々でした。商工会議所の婦人部会や鹿児島銀行に集まった父兄の会など、とにかく、人の集まるところで話し続けました。
結局、一期生として145名が集まりました。すると担当が、
「これは、快挙ですから、ぜひ今度の九州ヤマハ会で発表して下さい。」
こうして、九州のヤマハ特約店の社長さんたちの前でこの時の募集広告を行いましたが、ちょいといい気分でした。
当社の2階と名瀬信愛幼稚園の2会場でレッスンが始まりました。初代講師は、前島睦子さんという才媛で3年5か月稼働していただきました。
《追記》
平成15年9月現在、センターは名瀬市末広町を筆頭に、笠利町赤木名、徳之島町亀津、喜界町赤連、瀬戸内町古仁屋、名瀬市小宿の6会場に開設されています。
平成15年の5月で満36歳になったヤマハ音楽教室ですが、これらの教室で働いていただいた音楽・英語教室の歴代講師の数が137名になっていました。このみなさん方に心より感謝申し上げます。
異色な卒業生として、奄美島唄の若手唄者の中村瑞希(みずき)さんや中(あたり)孝介さん、永(ながい)志保さん、歌手の、恵(里)アンナさん、我那覇美奈(がなはみな)さんなどがいらっしゃいます。
この年、社名をセントラル楽器と改名しました。