島唄という呼び方は、いつ始まった?
■シマウタ、シマ歌、シマ唄、しまうた、しま歌、しま唄、島歌、島唄。
ふざけている訳ではなく、それぞれの表記に思い入れが入っている事をお知りおき下さい。
しまは、狭義の集落(シマ)から広義の故郷(シマ)まで含んでいます。
漢字よりは、ひらがな、カタカナのほうが意味が限定されず、より幅広い表現だという事になるのではないでしょうか。
うたという漢字については、唄は古典的、歌はポピュラーなイメージを持つのではないでしょうか?
ひらがな、カタカナは、すべてを含む表現となるでしょう。
小川学夫さんは、かつては、島唄、今は、シマウタという表記です。
■沖縄県立芸術大学の高橋美樹さんという方が、7月末に島唄という名前を奄美でいつ頃から使いはじめたのか調査にいらしてました。
ナント、沖縄では1970年代まで「シマウタ」なる言葉は使用してはいなかったとのことでした。どうやら、奄美から輸入した言葉だったようでございます。
では、奄美で島唄と言いはじめたのはいつ頃であったのか???
こんな初歩的な事でも、改まって尋ねられたら、「I don’t know」と言うしかないのです。
新鮮な感動でした。
「そうか、島唄って奄美の言葉だったんだ。」
ザ・ブームは、島唄という言葉を流行らせてくれました。
この漢字文字が、全国的に1歩リードといったところでしょうか?
■150年前に奄美に政治犯として薩摩藩から島流しの刑を受けた名越左源太(なごや・さげんた)が、当時の様子を文字と絵にして残しました。
南島雑話という本です。当時の事を知る貴重な資料です。
その中にも、シマンチュ(島びと)たちが歌いほうけているさまが描かれています。
そこにも、「シマウタ」という呼称はありませんでした。
大体、シマウタの名が市民権を得たのは最近の事。
やはり、以前は奄美民謡と公式には言わざるをえなかったんじゃないかと思うわけです。
だから、活字で探すのはタイヘンだろ~な~っ!
■境目もはっきりしないA村とB村の文化がハッキリ分けられているというお話。
B村に住む少女がA村の島唄サークルに入会したいと言ったら断られました。
理由はひとつ。
「よそジマの子だから」なのでした。
指導者の方々も、シマが違うと言葉も違う。
同じシマの人間でなくては島唄文化の継承は困難であるとお考えになったのでしょう。
純粋培養の島唄世界アリ、名瀬市のように島唄文化のごった煮となった、シマが明確でない地域アリで面白いもんです。
■昔は、陸路よりも海路のほうが、大量の荷を運搬するのには便が良かった。
だって、道路を造るのは、山ばっかりの奄美ではタイヘンですよ。
だから、隣りの村との物理的、精神的な距離があったのではないか?
遊びに行くほうも泊りがけ、唄遊びを夜更けまでやって、よそジマの人をおもてなしした。
シマが、それぞれ陸の孤島として存在していたのではないか?
今は、人の往来が盛んですから、おらがシマの観念もかつてのような濃いものではなくなってきています。
だって、北大島の島唄が、レコードになって、南大島で聴くことが出来る、という時代を経てきたんですからネ。