奄美群島の日本復帰50周年記念盤を5枚制作しました。
第1弾は、【奄美物語り】です。これは、奄美を題材とした歌謡曲(奄美新民謡)で有光あきらさん作詞・久永美智子さん作曲の8曲が収録されています。【紅白歌合戦を狙おう!】という掛け声で作られた名曲集です。歌は、久永さんや娘のさとみさんを中心としたメンバーです。
昭和38年の紅白で、【島のブルース】、【島育ち】、【奄美恋しや】、【永良部百合の花】など、奄美出身の作詞・作曲家が作った曲が4曲も歌われたという実績もありますから、じっくりと愛唱してゆけばこれは可能ではないでしょうか。かの【島育ち】も、曲が生まれて23年後に大ブームを巻き起こしたのですから…。
ひれん海峡/奄美の女/黄昏のラブソング/南回帰線
海果てしなく/奄美エアポート/わるつ/あまみ恋うた
(カラオケと歌・全16曲)
昔のままの奄美島唄が、今も歌われている地域はどこかご存知ですか? 答えのひとつにブラジルがあげられます。奄美で歌われている島唄でさえ外界の影響を受け変化している今日、むしろ、奄美から遠く離れた土地で原曲に近い島唄が愛唱されているという現実に驚かされます。故郷を後にした人々にとって、シマの記憶はその時のまま静止しているからでしょうか?
第2弾の坂元豊蔵(さかもととよぞう)さんは、宇検村芦検(うけんそんあしけん)出身。警視庁に採用され上京。昭和初期にはNHKのラジオ放送で奄美の島唄を歌った方です。民謡はおろか奄美が全国的に認知されていない時期の出来事でした。後、島唄をレコード化。文部省主催芸術祭にて鹿児島県代表として出演。同芸術祭に再度参加した際、自身の歌ったレコードが宮中に献上されたと聴き、感涙にむせぶ古き良き時代の男でした。日本復帰前に中央の方から我々を支援し続けた同胞たちは、変わらぬ奄美島唄を歌って故郷への声援(エール)としました。その中心には、いつも坂元豊蔵さんがいたのです。
はやり朝花(あさばな)/本朝花/俊良(しゅんりょう)/黒だんど/だんかん橋
かんつめ/やちゃ坊/しゅんかね/今ぬ風雲
上がる日ぬはる加那/芦花部(あしけぶ)一番/塩道(しゅみち)長浜
太陽(てだ)ぬ落(う)てなぐれ/雨なぐれ/飯米(はんめ)取り/うらとみ
長雲/渡しゃ/嘉徳(かどく)なべ加那
(全19曲)
第3弾は、龍郷町大勝(おおがち)出身の直田ハツ子さんです。独特の節回しのこの唄には三線をあわせるのは難しいことでしょう。笠利町須野(すの)の恵純雄(めぐみすみお)さんが器用にこれをこなしています。
奄美の日本復帰により【本土に追いつき追い越せ】をスローガンとして開発がすすみました。
ここで、その是非を問うつもりはありませんが、振り返ってその失ったものの多さに愕然とします。世が変わり人が変わりシマの景観さえもずいぶんと変わってしまいました。人々は散り、かつて継承された民の文化もまたしかりでした。そんな中、生まれジマの唄を聴いて育ったから、直田さんは、ずうっとそれを歌ってきました。そのことは、彼女にとって、至極当然のなりゆきだったといえましょう。希少になってしまった昔のままの島の唄がここにありました。彼女の唄はいつしか奄美の原風景となり、聴く人に「おかえりなさい」と語りかけるのです。彼女の作詞による朝花なども収録されていて坂元豊蔵さんと同じく【変わらない】唄を聴かせてくれます。
【直田ハツ子 なぐるしゃCD収録曲】
朝花(あさばな)/俊良主(しゅんりょうしゅ)/くるだんど/らんかん橋/芦花部(あしけぶ)一番
東(あが)れ世ぬはる加那/雨ぐるみ/やちゃ坊
行きゅんにゃ加那/請けくま慢女(まんじょ)/長朝花/しゅんかね
花染め/長雲/よいすら/こうき/かんつめ/今ぬ風雲
嘉徳(かどく)なべ加那 (全19曲)
第4弾の瀬戸内町古仁屋(こにや)の里朋樹(さとともき)君は、我が社で最年少の小学6年生でのCD制作でした。
中野豊成(なかのとよなり)さんに島唄を師事。元ちとせさんの弟弟子になります。歌っている時の彼のひたむきさは、聞く者を惹きつけます。そして、これが本当に小学生なのかと、その三線のバチさばきには、いつも感心しています。
妹の歩寿(ありす)ちゃんとのコンビは、すっかりお馴染みとなりました。兄弟なら練習もスムーズにいくのではないかと思います。
平成15年4月現在、彼は中学生になりましたが、声変わりに気をつけて大きく育って欲しい少年です。
【里朋樹 大樹のうたCD】
俊良主(しゅんりょうしゅ)/くるだんど/長菊女(ちょうきくじょ)/心配(しわ)じゃ(糸くり)
らんかん橋/長雲/いそ加那/嘉徳(かどく)なべ加那
ワイド節/正月着物(しょうがつぎん)/行きゅんにゃ加那
仕事唄(イトゥ)/豊年節
(全13曲)
第5弾は石岡春代さんのCDです。
前述のように。石岡さんの美声を初めて聴いた時から、私はその虜となってしまいました。
もしも、彼女が地元で島唄をじっくり歌いこんでいたら、今頃は、とっくに【奄美民謡大賞】を受賞していたのではないかと思うほどです。現在、愛知県にお住まいです。
これらの5枚のCDは、それぞれがセントラル楽器のこれなでの歴史を踏襲するかのように、【新民謡】、【古典島唄】、【美声島唄】、【若手島唄】とバリエーションに富んでいます。
特に奄美群島日本復帰50周年の平成15年は、数多くの唄者たちがこれまで歌い継いできた事が実を結んだ年になりました。朝崎郁恵さんを筆頭とした今風の島唄、島のベテランたちの不変な島唄など、今、世間の注目を集め、シマンチュからヤマトンチュまで多くの人たちが多様な島唄を生みだしつつあります。人の数だけ島唄があるのなら、これは無限です。
そしていつか、これらが淘汰されてゆき、残った唄がまた、永く歌い継がれてゆくことになるのでしょう。