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村田実夫さんと新民謡録音の思い出

村田実夫さんと新民謡録音の思い出

 昭和31年5月に売り出した、表面に新民謡、裏面には島唄を収録したこの時のレコードは、前述の通り経費がかかりすぎ、また、制作枚数が少なかった事で1枚あたりの単価が高くついてしまいました。原価が卸し値を超えてしまったため、卸す毎に赤字でした。
「もう金輪際レコード作りはしないぞ!」
と、その時、私は決心しました。

 ところが昭和35年に私は、またまたレコーディングに手を出してしまいました。村田実夫(むらたじつお)さんの歌声をどうしても残しておきたかったのです。私は、6歳上のこの人のことを実夫兄と呼んでいましたが、2月のとても寒い時期にこの実夫兄と2人で東京へ出発しました。
「君たちのようなお上りサンがスタジオを借りたら法外な値段をふっかけられる恐れがあるから俺も付き合おう!」
と、後年、島のブルースの作曲をなさった渡久地政信(とくちまさのぶ)先生が、島口でおっしゃって、ご自分の名前で青いスタジオという場所を申し込んで下さいました。

村田実夫さんと新民謡録音の思い出

 実夫兄と渡久地先生は、三界稔先生の同門で兄弟弟子でしたので、2人は、
「実夫」
「渡久地」
と呼び合う間柄で、録音の最中も、実夫兄の、渡久地先生への遠慮の無い注文が飛び交いました。そのたびに、渡久地先生のお弟子さんは、楽譜の書き直しをやって下さいました。

続きは下記書籍「大人青年」よりどうぞ
大人青年

 
新民謡CD収録曲》
永良部(えらぶ)百合の花/大島小唄/徳之島小唄
磯の松風/月の白浜/島育ち/島かげ/農村小唄
新北風(みいにし)吹けば/本茶(ふんちゃ)峠/名瀬セレナーデ
そてつの実(なり)/夜明け舟/日本復帰の歌
名瀬市民の歌/新野茶坊(やちゃぼう)/奄美小唄
はたおり娘/島のブルース/想い出の喜界(きかい)島
奄美のさすらい千鳥/忘れられない故郷(しま)
奄美三美女伝 他

《村田実夫プロフィール》

大正8年8月25日
名瀬市の久里町に生まれる
昭和12年
旧制大島中学校を中退
東洋音楽学校(現・東京音大)に入学
昭和13年
北支戦線に従軍
昭和18年
帰郷、奄美文化協会主事となる/古仁屋の陸海軍慰問を行う
昭和23年
奄美新民謡「農村小唄」作曲
楽団ブルースカイのバンドマスターとして昭和35年まで活躍
行政分離期の大島郡全域にわたって精力的に演奏活動を行う
昭和24年
奄美新民謡「名瀬セレナーデ」「本茶峠」「新北風吹けば」「夜明け舟」などを作曲する
昭和36年
遺族会館建立のためのチャリティーコンサートを実施
昭和38年
奄美新民謡「思い出の喜界島」作曲
昭和39年
奄美新民謡「紬まつり」「島ちいもれ」作曲
昭和48年8月9日
死去
同年8月29日
「村田実夫追悼演奏会」実施
昭和52年8月9日
「本茶峠の碑」建立
同年10月9日
「本茶峠の碑」除幕式
平成13年8月26日
「村田実夫メモリアルコンサート」

《村田実夫さん余話》

 遺族会館(※戦災者のための集会場的役割を果たした建物、現存しない。)の新築を村田実夫さんらが側面から援助することになり、そういった経緯で歌と踊り、楽器演奏などで地方巡業をしたという話を、久永(旧姓沖島)美智子さんから少し聞きました。
 彼女の両親の出身地は、鹿児島県大島郡瀬戸内町嘉鉄(かてつ)で、本人は大阪の生まれです。小中学校時代は、瀬戸内町の学校に在籍し、名瀬市であった作曲家の三界稔(みかいみのる)氏の主催する音楽コンクールで優勝。その後、土産店・ニューグランドの山田米三氏の元でレコーディングなどを行いました。後に名曲「加計呂麻慕情(かけろまぼじょう)」などの作曲を手がけることになります。
以下、久永美智子さんから聞いた話を記します。


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大人青年

ブラジル移民

 この頃は、移民がブームだったのでしょう。私が結婚した頃から店を手伝ってくれていた家内の弟、【次男・横山和夫】が、この年ブラジルへ旅立ちしました。
なんでも器用にこなす義弟でした。オートバイを扱い出した昭和31年には、浜松のメーカーに研修に行ってもらいました。正規の研修内容以外にもオートバイのウィリー走行(前輪を持ち上げ後輪だけで走る高等技術)など、たくさんの余技をお土産に持ち帰り、我々を大いに喜ばせてくれました。

村田実夫さんと新民謡録音の思い出

 写真は、私と家内の兄弟を中心としたものです。やしま食堂に集まり、みんなで彼の門出を祝いました。平成2年に30年ぶりの里帰りを果たしましたが、その時に行ったOB会には、セントラル楽器、発動機時代の人たちが大勢集まって、彼との対面を喜んでくれました。その後、亡くなった方もいらっしゃいますが、この時に撮影した記念のビデオには懐かしい顔がたくさん納まっています。
 この時、和夫は失恋のショックからブラジル行きを決めたのだと仲の良かった友人たちがOB会の席で暴露し、会場は笑いの渦でした。