奄美新民謡は、昭和初期の名曲として牧歌的な島育ちや大島小唄、磯の松風、月の白浜などがあります。その後、終戦から日本復帰までの8年間に、島かげ、農村小唄、本茶峠など島民の心をひとつにした思いで深い名曲が続きました。そして、田端義夫さんの島育ちではじまった昭和37年からの奄美ブーム期の名曲の数々。あれから10年、目新しい曲も無いままに時が過ぎてゆきました。
「奄美の新民謡を絶やしてはいけない!」
この年に、新民謡の一般公募に踏み切りました。まず、地元の新聞で歌詞を募集し、その後、曲の募集を行いました。奄美共済会館に審査員の方々を集めて入選作品を決定しました。この時に多くの新しい曲が生まれましたが、この年は沖縄が日本に返還され、日本の最南端が、奄美から沖縄に変わり、世はこぞって沖縄ブームでした。【奄美三美女伝】、【灯りに濡れる名瀬の街】【忘れられない故郷】、【奄美はぶまつり】などの、多くの魅力的な曲が出揃ったにもかかわらず、発表のタイミングが沖縄ブームと重なってしまったことが、仇となりました。
《追記》
大島紬の生産数が、戦後最高の28万4000反となり、島は紬景気に酔いしれていました。
紬に従事する人たちの羽振りの良さを表現して、【ビールで足を洗う】なる言葉などが使われた時期でした。
実況録音・奄美民謡大会
その頃のレコード業界では、ライブ盤、つまり、実況録音盤がはやりはじめていて、これは島唄でもいけるんじゃないかと、【実況録音奄美民謡大会】という催しを南海日日新聞社と共催企画しました。このイベントは名瀬市中央公民館で9月18日から20日の3日間行われました。出演者は、稲田栄利(えいとし)・生元(いけもと)高男・坪山豊(以上、宇検村生勝:いけがち出身)、中村宏(宇検村平田:へだ出身)、迫地明良(さこちあきよし)(龍郷村赤尾木:あかおぎ出身)、山下テルエ・森田照史(てるふみ)(以上、笠利町喜瀬:きせ出身)、山田武丸(たけまる)(龍郷村秋名:あきな出身)、浜川信良(しんりょう)・浜川昇(以上、大和村大金久:かねく出身)の諸兄姉にご参加いただき開催致しました。
舞台という大変制約されたやり直しの利かない条件下でのレコーディングでしたので、出演者の方たちは、とまどったかもしれませんが、録音室で製作した作品と違い、観客と向き合った臨場感あふれるいい味が出せたと思っています。日本復帰前、劇団・熱風座の個性派役者でもあった池島典夫さん(故人)のメリハリのある楽しい司会が大会に花を添えてくれました。
唄者 坪山豊の発掘
続きは下記書籍「大人青年」よりどうぞ
【大人青年】