デビューから1年後には、坪山豊さんは、レコードを出すほどレパートリーも増やしていました。しかし、レコーディングは、順調だったというわけではなく、納得のいく作品の完成までに、実に1年の時間を要しました。このレコードが完成したときには、坪山さんを発掘した1人、池島典夫さんが、
「坪山さん、おめでとう。良かったねぇ、本当に良かったねぇ…。」
と、涙ながらに喜んでいました。
同郷の稲田栄利さん(故人)のご指導で、三味線の方もめきめき上達していきました。この頃の坪山さんは、大和村今里の武田ぼうさん、今田カメキクさん、宇検村生勝(いけがち)の与名(よな)スミさんといった先輩の方々から埋もれた唄を聞き出したり、唄の指導を仰ぐという熱心さでした。
そして、その島唄活動は、昭和53年、彼の代表作ともいうべき【ワイド節】の作曲へとつながってゆくのです。
この時のレコードも廃盤となっています。
勝島徳郎さんのこと
瀬戸内町古志ご出身の勝島徳郎(かつしまとくろう)さんは、竹下和平さんや吉永武英さんの先輩格にあたり、彼らにも強く影響を与えたといわれています。また、実に多くの島唄をご存知で、一般にはほとんど忘れ去られようとしている唄(ちぎょいはま岳:だけ、山と与路島:さんとよろじま、くばぬ葉など)をこの時、録音することが出来ました。
続きは下記書籍「大人青年」よりどうぞ
【大人青年】
【勝島徳郎傑作集カセットテープ収録曲】
朝花(あさばな)/長朝花/俊良主(しゅんりょうしゅ)
やちゃ坊/くばぬ葉/ちぎょいはまだけ
塩道(しゅみち)長浜/飯米(はんめ)取り
イトゥ/朝顔/マンコイ
上がれ日ぬはる加那/正月着物(ぎん)
糸くり/山と与路島(さんとよろじま)
かんつめ/らんかん橋/六調
(全18曲)
奄美民謡大会
【南政五郎:みなみまさごろう】、【徳久寿清:とくひさじゅきょ】、【勝島徳郎:かつしまとくろう】、【坪山豊:つぼやまゆたか】の4氏のレコードを製作した記念に、翌49年に名瀬市中央公民館で2日にわたって【奄美民謡大会】を開催しました。
ご本人たちはもちろん、賛助出演に吉永武英(たけひで)さん、中シゲチヨさん、勝島伊都子(いつこ)さん、徳啓子さん、稲田栄利(えいとし)さん、安田光治さん、前田和郎さん、前田重三郎さんといった方々が加わり好評のうちに幕を閉じました。司会を務めた池島典夫さんが、ユーモアを交えながら適切な歌の解説を行ない、これまた好評でした。
ゲストで、伊是名舞踊研究所の伊是名一男さんが島唄・長朝花を踊ってくださり、
「島唄もこの様に舞踊化出来るのか!」
と驚きと賞賛の声が聞かれました。
徳久、勝島の両氏は関西在住のため、この大会のためにわざわざ来島されましたが、会場の盛況に大変ご満足の様子でした。
村田実夫さんを偲ぶ
「はゲー なまド なあめチ いきゅンとろ ありョたんバ……。」
(嗚呼、今あなたの前へ行くところだったんです。)
右手を高くふりながら足早に歩み寄ってきたのは、村田実夫君であった。
「曲ぬでけりョたンちョ、聴しくれンしょしんニ……。」
(曲が出来たのですが、聴いてください。)
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【大人青年】