島ぐちは島唄の根幹を成すものですから、その保護の意味からもなんとかイベント化して盛り上げたいと、南海日日新聞社を訪問して口説きましたが、この企画は、おいそれと引き受けてはもらえませんでした。これは、楠田豊春(くすだとよはる)さんを担ぎ出して、彼の誠実な人柄と理論的な交渉で、ようやく実現にこぎつけることが出来ました。
続きは下記書籍「大人青年」よりどうぞ
【大人青年】
【島口達人 間勝雄収録話】
愛しい妻の入れ歯
名瀬市内バス・タクシー
国会議員
猪のクリスマスイブ
兄弟の鹿児島珍道中
ケンムン笑い話
晩酌(だるやめ)
郷里に伝わるテーキ話
マルコス大統領と新大統領アキノ夫人
各地方の方言漫歩
嘉鉄(かてつ)の浜の豚(うわー)騒動
吾(わ)んが子供の頃の話
あまんちゃづると吾ン妻(わんとぅじ)
ガスランプ
島口漫談
うんぺいの嫁貰い
福島ナヲマツを偲んで
アジャ・マジムン
ケンムンばなし
根瀬部人(ねせぶちゅ)ぬ伊津部歩き
ハボウジ物語
似合-タ釜ニド鍋ヤスカル
新入学児童とお母さんの集い
毎年小学校1年生となるお子さん対象のイベントが、新入学児童とお母さんの集いです。その第1回は、2月の中旬に名瀬市立体育館にて開催されました。主催は南海日日新聞社、後援は名瀬市教育委員会で、名瀬地区交通安全協会とセントラル楽器が協賛しました。
内容は、子供たちに通学の際の横断歩道の渡り方などを竹山菊乃さんの腹話術の人形を使って行ったり、エレクトーン演奏で、歌や遊戯を楽しむものです。ヤマハ音楽教室と英語教室も毎年このイベントで体験レッスンを行っています。
一番の魅力は、協賛店の提供するランドセルや学習机のお楽しみ抽選会です。イベントの最後にこれがあるのですから、親子ともども、入場の際手渡された抽選券を握りしめてワクワクしながらその結果を待つのです。当選番号を読み上げるたびに歓声と落胆の声が同時に聞こえてきました。
これは、新1年生とお母さんの集いと名を替え、現在も行われていますが、少子化の影響か、お子さんの数が以前に比べ寂しいものになって来ました。
奄美民謡大賞スタート
昭和50年からはじまった、南海日日新聞社主催の【奄美民謡新人賞】の狙いは、島唄の底辺拡大と普及促進をするためのものでした。
このイベントは、55年に名前を変えて【奄美民謡大賞】となりました。そして、鹿児島テレビ放送(KTS)の関わった鹿児島大会、全九州中国大会を経て、日本テレビ主催の全国的な【日本民謡大賞全国大会】というイベントに連結され、奄美島唄が飛躍的に発展する、その登竜門となりました。
続きは下記書籍「大人青年」よりどうぞ
【大人青年】
地元・南海日日新聞より
奄美民謡大賞の審査発表
審査員長・小川学夫さんの講評
新社屋完成
11月29日に6階建ての新社屋が完成しました。
その白いビルは、1階にレコード・ミュージックテープ・LM楽器・音楽書売り場、エレクトーンハウス、2階にピアノ・管楽器のコーナーと事務所、3、4、6階に9つの音楽教室とその受付、講師控室、5階は150人収容のイベントホールという大がかりなものでした。
オープン記念のイベントが目白押しで、エレクトーンプレイヤーの南部昌江(なんぶまさえ)さんがクイズジョッキーを務めたり、専門家によるエレキギターやエフェクターのクリニックをしたり、母親のための講演、フィルム上映、3人のエレクトーンプレイヤーによる4時間演奏のリレーマラソン(略してエレソン)で、いったい何曲弾けるのか?その数当てクイズなど、常にイベントが入っていて活気付いていました。
順風満帆な船出と思われましたが、それでも大きな落とし穴が待っていたのでした。
奄美全体でも大島紬の売り上げが、がくんと落ちて、名瀬市にあった朝日工業、朝野建設などの企業が次々に倒産するという大変な時期にさしかかっていました。この年を境として、わが社の売り上げは信じられないようなダウンを始めたのです。
このビルを建てるに当たっては、これまでの右肩上がりだった売り上げを少なめに見積もって緻密な返済計画をたてたつもりでした。
しかし、エレベーター設置や音楽レッスン室の増設、またエレクトーンなどの商品の増加により電気代も大幅に上がりました。従来と違って計算外のものも増えてきました。
この頃、売り上げの前年度対比伸び率は21.69%でしたので、最悪でも10%位は大丈夫だという事で計画を立てましたが、逆に10%マイナスとなり、後述しますが大変な事態を招いてしまいました。