セントラル楽器の主力商品のひとつであったLPレコードから、【CD】(コンパクトディスク)に移行し始めた時期でした。LPとCDを比較すると、後者の方が、音質が優れている、小型で持ち運びに便利、何度聴いても盤が摩耗しないなど利点がいっぱいでした。
メーカーもレコードからCDに移行するという案内を進め、店内から30cmのレコードジャケットを撤去し、半分以下の12cmのCDに切り替えてゆきましたが、新しい商品に慣れていないせいか、これらはいかにも小さく、そして寂しく感じられました。
「これからは、CDの時代だからCDプレーヤーをたくさん販売して普及に努めよう。」
などと全社に号令をかけました。が、ひとつだけ困った問題がありました。それは、島唄です。
当時の島唄は、レコードとカセットテープでの販売を行なっていましたが、その愛好者は圧倒的に年配の方でしたから、今後、CDで商品を出しても彼らは、それに対応できるだろうか?という懸念でした。
ようやく、当社初のCDが市場にお目見えしたのは、それから7年後の平成3年7月に発売した当原ミツヨさんの【野茶坊抒情】からでした。
ただし、市場の様子がいまひとつつかめなかったので製品はカセットテープとCDの両方を制作しました。当初はテープの方が売れ行きが良く、その後、徐々にCDへと変わってゆくのですが、この当原製品は、島唄ファンのCDプレーヤー普及状態を知るバロメーターになりました。
レコード部門からの撤退
名瀬市内で【セントラル楽器】といえばレコード店といったイメージがありました。昭和25年から続けてきたこの商売は、わが社の中でも大黒柱となる部門でした。
そのレコード部門は、
「私は、音楽が好きで好きでたまらない、趣味が高じて職業になった。」
こういう熱心な人が舵をとるのがベストなのですが、素人が、生半可な仕入れでこれを行なうと、デッドストックの山となる怖さがあります。
昭和40年代から仕入れや商品管理を一手に引き受けていたレコード課・課長の高良一(たからはじめ)君は、大量のLPをいっぺんに仕入れて数日で完売させる大胆さ、また直後の追加発注はたったの数枚という堅実さ。ところが、後でこれが彼のつかんだ適正なペースであったと知り、折にふれては感心したものです。
その40年以上続けてきたレコード部門から撤退するということは大変な決断が必要でした。ち密な在庫管理を必要とする部門ですので、相当優秀なスタッフでないと務まりません。
ここで考え直したのは、
「大手のレコードは他所でも扱えるが、奄美の音楽は我が社がやらねばならないのだ」
という、強い使命感でした。
思い切って、島唄、新民謡、地元アーティストの作品に絞り込み、現在に至っている次第です。
名瀬市内では、高良一君の経営するサウンズパル、陣内(じんのうち)電器、ブックス十番館プラスワン、TUTAYA名瀬店などで専門的にCDを扱っています。